ロナウジーニョの背番号|10番だけじゃない。その数字に込められた意味

ロナウジーニョ

ロナウジーニョと聞いて、まず思い浮かぶのはやっぱり「背番号10」だと思う。
あの笑顔と、あのボールタッチ。気がついたら、10番というイメージが頭の中に定着している。

でも、ちょっと冷静に思い出してみると、
「あれ?ミランでは80番じゃなかった?」
「代表のとき、最初から10番だったっけ?」
と、引っかかる人も多いはずだ。

実際、ロナウジーニョは10番だけを背負ってきた選手ではない
まずはそこを、事実として整理しておく。


ロナウジーニョの歴代背番号【クラブ編】

所属年 年齢 所属クラブ 背番号
1998〜2001年 18歳〜 グレミオ 9、10
2001〜2003年 21歳〜 パリ・サンジェルマン 21、10
2003〜2008年 23歳〜 バルセロナ 10
2008〜2011年 28歳〜 ACミラン 80
2011〜2012年 31歳〜 フラメンゴ 10
2012〜2014年 32歳〜 アトレチコ・ミネイロ 49、10
2014〜2015年 34歳〜 ケレタロ 49
2015年 35歳 フルミネンセ 10

ロナウジーニョの歴代背番号【ブラジル代表編】

年齢 大会名 背番号
1999年 19歳 コパ・アメリカ 21
1999年 19歳 コンフェデ杯 7
2000年 20歳 シドニー五輪 7
2002年 22歳 W杯(日韓) 11
2003年 23歳 コンフェデ杯 7
2005年 25歳 コンフェデ杯 10
2006年 26歳 W杯(ドイツ) 10
2008年 28歳 北京五輪 10

「10番のロナウジーニョ」は、後から出来上がったイメージ

こうして表で見ると分かるが、ロナウジーニョはキャリアの序盤から10番を背負っていたわけではない

代表デビューは21番。2002年ワールドカップでは11番。
あのイングランド戦のロングFKも、11番だった。

それなのに、記憶の中では「ロナウジーニョ=10番」になっているのが面白い。

たぶんこれは、背番号が印象を作ったというより、プレーが背番号の印象を塗り替えたからだと思う。

バルサ時代の10番が「特別」になった、あの瞬間

それでもやっぱり、ロナウジーニョと10番が強く結びついたのは、
FCバルセロナ時代の記憶があまりにも強烈だからだと思う。

特に忘れられないのが、2005年のサンティアゴ・ベルナベウ。
いわゆる「敵地でスタンディングオベーションが起きた試合」だ。

あの試合のロナウジーニョは、最初から何かが違った。
ボールを持つたびに、スタジアムの空気が少しずつざわついていく。

2点目のゴール。
スピードを落とさずに運び、フェイントを一つ入れて、右足で流し込む。

派手なパフォーマンスはない。ガッツポーズもない。
ただ、何事もなかったかのように戻っていく。

その直後、起きたのがレアル・マドリードの観客による拍手だった。

敵地で、しかもクラシコで、相手チームのエースが拍手を受ける。
これは、あとにも先にもほとんど例がない。

この瞬間に、「ロナウジーニョ=バルサの10番」というイメージが、
世界中のサッカーファンの頭に焼き付いた気がする。

ただ、ここで大事なのは、彼が「10番として支配的だった」から拍手されたわけではない、という点だ。

試合をコントロールしていたというより、ただ、サッカーを楽しんでいる姿が圧倒的だった

勝たなければいけないクラシコで、緊張感の塊みたいな試合で、
一人だけストリートサッカーをやっているように見えた。

だからこそ、敵のサポーターですら、「これはもう認めるしかない」と拍手を送ったんだと思う。

10番の重みを背負って輝いた、というより、10番という概念を軽々と飛び越えてしまった。

このバルサ時代の記憶があるから、今でも多くの人にとって、
ロナウジーニョの背番号といえば真っ先に「10番」が浮かぶのだと思う。

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ロナウジーニョは、なぜ10番から自由だったのか

10番という番号は、サッカーではどうしても特別扱いされる。
司令塔、ゲームメーカー、責任者。チームをコントロールする役割がセットで付いてくる。

でもロナウジーニョを見ていて、「試合を支配してやろう」みたいな感じを受けたことは、正直あまりない。

彼はもっと単純だった。

今ひらめいたことをやる。失敗しても気にしない。楽しそうならそれでいい。
試合を“管理”するより、試合の中で“遊んでいる”感覚に近かった

だから10番を背負っていても、いわゆる「10番らしさ」には収まらない。
10番を背負っていたけど、10番に合わせてプレーしていたわけじゃない。

この距離感が、結果的に「10番から自由」に見えたんだと思う。

ミランの80番を見たときの、正直な気持ち

2008年、ACミランで80番を着たロナウジーニョ。
初めてテレビで見たとき、「え、80?」とちょっと戸惑ったのを覚えている。

バルサ時代の10番があまりにも完成されていたから、どうしても比べてしまう。
全盛期は過ぎたとか、運動量が足りないとか、そういう声もよく聞こえてきた。

でも、ミラン時代のロナウジーニョを落ち着いて見返すと、違う印象も残る。

80番のロナウジーニョは、無理をしていなかった。
全部を支配しようとしないし、チームを引っ張ろうともしない。

それでも、一瞬だけボールを持ったときのトラップやパスは、間違いなく本物だった。

スターとしてのロナウジーニョではなく、ひとりのサッカー選手としてのロナウジーニョ。
80番の時期が、一番人間味があったように感じる理由は、たぶんそこにある。

49番に表れていた「背番号との付き合い方」

49番も、ロナウジーニョらしい番号だと思う。母親の生まれ年を選んだ、という話が知られている。

10番みたいに「周囲が意味を決めてしまう番号」ではなく、自分で意味を決められる番号

ロナウジーニョにとって背番号は、責任を背負うものというより、サッカーとの距離を調整するためのものだったのかもしれない。

重たい番号を選んでいるようで、実は一番軽くプレーできる番号を選んでいた。そんな感じがする。

それでも、10番が一番似合ってしまうという不思議

ここまで読んでも、「やっぱり10番が一番似合うよな」と思う人は多いはずだ。
それは間違っていない。

でも、こうも言える。

10番が似合ったのは、10番に縛られなかったから。

10番を演じなかったから、10番が自然に見えた。
80番でも、49番でも、ロナウジーニョはロナウジーニョだった。

だから今も、背番号を思い出すより先に、あの楽しそうなプレーが浮かぶ。

背番号より、サッカーそのものを優先していた選手。
それが、ロナウジーニョだったんだと思う。

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