ロナウジーニョのポジションを調べると、
「MF」「FW」「左ウイング」など、表記が統一されていないことに気づきます。
それは資料が曖昧だからではありません。
むしろ、ロナウジーニョという選手が、そもそも一つのポジションに収まらない存在だったことを、そのまま表しています。
さらにキャリアを時系列で追い、幼少期までさかのぼって考えると、
なぜ彼がポジションに縛られなかったのか、その理由がより立体的に見えてきます。
キーワードは、「1.5列目」です。
パリ・サンジェルマン時代|MFかFWか、まだ定まらなかった若き才能
ロナウジーニョがヨーロッパで本格的に注目を浴びたのは、
2001年から2003年にかけてのパリ・サンジェルマン時代でした。
この頃の登録ポジションは、主に攻撃的ミッドフィルダーやセカンドトップ。
ただ、実際のプレーを見ていると、「ここが定位置」と言える場所はほとんどありません。
中盤でボールを受けたかと思えば、次の瞬間には最前線に顔を出し、
さらにその直後にはサイドでドリブルを仕掛けている。
そんなシーンが何度も見られました。
チームとしても、彼をどこに配置すべきか模索していた時期だったと言えます。
ただ一つ確かだったのは、決まった役割を与えると彼の良さが薄れてしまうという感覚が、
すでに共有されていたことです。
FCバルセロナ時代|“1.5列目”という最適解が完成した全盛期
2003年、FCバルセロナに加入すると、
ロナウジーニョは一気に世界最高峰の選手へと駆け上がります。
この時代の基本的な立ち位置は、左サイド寄りでありながらタッチラインには張らず、
状況に応じて中央にも自由に入ってくる、非常に曖昧なものでした。
表記上は「左ウイング」や「攻撃的MF」とされることが多いですが、
実態はそのどちらでもありません。
重要なのは、最前線より少し後ろで、自由に動ける位置――
いわゆる「1.5列目」でした。
なぜバルサでは「1.5列目」がハマったのか
最前線に張らなかったことで、ロナウジーニョは常に前を向いてプレーすることができました。
一方で、中盤に下がりすぎなかったことで、ゴールから遠ざかることもありません。
この中途半端とも言える位置は、多くの選手にとって扱いづらい場所です。
しかしロナウジーニョにとっては、創造性を最大限に発揮できるゾーンでした。
MFとして見ると攻撃的すぎる。
FWとして見ると下がりすぎる。
だからこそ、守る側は判断に迷い続けます。
誰が捕まえるのか。どこまで付いていくのか。
その一瞬の迷いが、彼に時間とスペースを与えていました。
ロナウジーニョの世界観を感じてみたい方は
ACミラン時代|自由から「役割」へと変化したポジション
2008年以降のACミラン時代になると、
ロナウジーニョの立ち位置は再び変化します。
この頃はトップ下、あるいは中央寄りの攻撃的ミッドフィルダーとして起用されることが増え、
若い頃のように縦横無尽に動く役割から、
試合の流れを読む存在へとシフトしていきました。
運動量や爆発力は落ち着いた一方で、
視野の広さや判断の質は健在でした。
なぜロナウジーニョはポジションに縛られなかったのか
ここで一度、彼の原点に目を向ける必要があります。
ロナウジーニョが育ったのは、ブラジル南部ポルト・アレグレ。
整備されたピッチや厳密な戦術練習ではなく、
裸足でボールを蹴る自由な遊びの中でサッカーを覚えてきました。
そこにはポジションやフォーメーションという概念はほとんどなく、
「ボールを持ったら何をするか」「どう楽しむか」だけがありました。
教え込まれなかったことが最大の武器になった
多くの選手は幼少期から、
「君はこのポジション」「ここを守れ」と教えられます。
しかしロナウジーニョは、そうした型を強く刷り込まれずに育ちました。
その結果、「今どこにいるべきか」よりも、
「今一番面白い場所はどこか」という感覚で動く選手になっていったのです。
ポジションの自由度は才能ではなく育ち方だった
ロナウジーニョの自由さは、天才という言葉で片付けられがちです。
しかし実際には、自由に遊び、制限されずに育った時間の積み重ねが、
彼のポジション感覚を形作っていました。
まとめ|ロナウジーニョのポジションは「自由な感覚の居場所」
ロナウジーニョのポジションを一言で表すなら、
MFでもFWでもない、自由な感覚が許される1.5列目です。
それは戦術の産物というより、
彼の育ち方と価値観がそのまま表れた場所でした。
ポジションを知ることで、
ロナウジーニョという選手のサッカーが、
より人間的に、より深く見えてくるはずです。
ロナウジーニョの世界観を感じてみたい方は
AI AVATARがオススメ。
きっと楽しめると思います。

